この国で知り合った女性に、えりさんという女性がいる。
えりさんは、私の会社のアシスタントを勤める、語学堪能、才色兼備の女性だった。
彼女は今でこそ、線が細く男好きするタイプであるのだが、
小学生の頃は給食が食べきれずに、よく担任にいじめられていたらしい。
小学生の頃の先生という存在は、神に近い。
先生がそう言ったのだから、それが正しい。
好き嫌いなくなんでも食べなさい、という教えは正しい。
最近では、アレルギーを持つ子供も多いために、
あまり強く強制することはなくなったようだが、
私たちの年代が小学生だった頃、15年や20年前には、
担任の先生は絶対だったのだ。
彼女はチーズが食べられず、担任はそれでも強制して食べさせた。
結果、教室で食べたものを戻してしまい、ばつの悪い思いをした、ということである。
そのせいかどうかは分からないが、
彼女はどのような食事であっても、最後の一口を残す。
レストランで出される食事の量が多いヨーロッパでは当然とも言えるが、
最初の量が多かれ少なかれ、一口を残した。
パスタを少し残し、ライスを少し残し、サラダを少し残す。
パンを食べる時でも、耳の方を少し、
アイスを食べる時でも、コーンの先を残した。
その一口をどこかに取っておいて、
次の食事で残した一口をまた取っておいて、というのをくり返して行けば、
なんらかの節約になったりしないだろうか? などと
無駄な想像力を働かせてしまう。
世の中には、どうしても余ってしまうものがある。
その代わり、どうしても足りないものもあるのだ、ということに思いをはせる。